應仁元年一月、現在の地に沸然上人(俗姓、藤原朝臣)を開山として創始される。
時期については、「常滑市誌」に文明7年(1475年)より少し前(沸然上人の没年の少し前)に、と記載されている。

永禄年間(1558年~1570年)に、一時、兵火のため焼失する。
その後、中興開基、賢了庵釈秀天により再興される。

中興二世の折に、妻、伝通院(徳川家康公の御生母、於大の方)の御乳母となり
また、その由緒を以って以下の御品を下賜される。
御紋付御打敷、御茶入、御菓子盆、長柄御傘

なお、伝通院の御位牌については、今も現に安置する。

本能寺の変(1582年)の折に、徳川家康公が三河への帰途につかれ、大野へ上陸されて成岩の常楽寺へ赴かれたさいに、記念に薙刀を置いていかれたと云われる。
また、一説には徳川家との姻戚関係により、拝領した物とも云われる。

慶長13年10月(1608年)、境内地2反5畝歩を拝領する。

元和3年(1617年)、尾張藩初代藩主、徳川義直公(源敬公)におかせられては、知多郡への御巡視の折に先々の縁故を以って、御立ち寄り被遊される。
また、伝通院の御菩提のため以下の御品を下賜される。
御紋付御長刀一振、御紋付御髪請、御紋付御提灯四張

万治2年(1659年)、尾張藩二代藩主、徳川光友公(源正公、瑞龍院)におかせられては、御鷹野の折に御立ち寄り被遊される。
また、その折に以下の御品を下賜される。
御紋付白地七條袈裟一衣、御懸物、古法眼筆、寒山之僧一軸

江戸時代初期までは、浄泉寺と云った。また、同中期には大野の光明寺の末寺であった。
その間、寛文9年(1669年)の頃、故あって、寺号を光泉寺へと改称する。

文政5年9月(1822年)、松林山の山号を申請する。

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